MotoGPを支えるSPIDI / XPD

世界選手権パドックのレーシング・サービス最前線

MotoGPの現場では、SPIDIのスタッフによってレーシング・サービスが行われている。
現地で行われるレーシング・サービス、そしてMotoGPで培われた技術がどのように市販製品にフィードバックされるのだろうか。


SPIDIライダーのマヌエル・ゴンザレスSPIDIライダーのマヌエル・ゴンザレス


MotoGPパドックで行われる週末のルーティン

 56designが日本における輸入総代理店を務めるSPIDIは、イタリア北部のヴィチェンツァに拠点を置くライディング用アパレルメーカーである。そんなSPIDIがMotoGPのパドックで展開しているレーシング・サービスについて、エアバッグ開発とレーシング・サービスを担当するジュリオ・タマロさんに話を聞いた。

SPIDIのエアバッグ開発とレーシング・サービスを担当する、ジュリオ・タマロさん


 SPIDIは、ロードレース世界選手権 MotoGP, Moto2, Moto3のライダーをはじめ、世界中のライダーにレザースーツを供給している。現在フル参戦しているMoto2のSPIDIライダーは、マヌエル・ゴンザレス、アロン・カネト、アルベルト・アレナス、ジョー・ロバーツの4名だ。彼らはSPIDIのレザースーツ、グローブ、そしてSPIDIのフットウエアブランドであるXPDのブーツで戦っている。

ゴンザレスは2025年シーズン、Moto2のチャンピオンシップでランキング2位を獲得した


 また、XPDブーツのみを使用するのは、ディオゴ・モレイラとアロンソ・ロペスだ。モレイラは2025年シーズンのMoto2クラスでチャンピオンに輝いたライダーであり、ゴンザレスはチャンピオンシップでランキング2位を獲得している。

最終戦バレンシアGPでチャンピオンを獲得した、ディオゴ・モレイラ。XPDのブーツを使用する


 SPIDIは、MotoGPのパドックでレーシング・サービスを行い、ライダーたちをサポートしている。
 ヨーロッパで開催されるMotoGPの場合、レーシング・サービスはパドックに停められたサービス・トラック内で行われる。ヨーロッパは陸続きなので、サービス・トラックは走ってサーキット間を移動するのである。ただし、日本GPのように海を超えた国で開催されるMotoGPの場合、レーシング・サービスに必要な道具やレザースーツなどは空輸されることになる。

「状況にもよりますが、通常、私は水曜日の午後に到着します」と、タマロさんはレースが開催される週末のルーティンを説明する。

ヨーロッパのMotoGPパドックにあるSPIDIのサービス・トラック。ここでレーシング・サービスが行われる


「木曜日には、イタリアから週末に必要な追加の装備が届きます。同時に、ライダーたちが前のレースで使ったレザースーツと予備も回収します。通常、ライダー一人につき最低でも2着のスーツを常に使用できる状態にしています。1着はメインで使用するもので、もう1着はクラッシュなどの場合に備え、常にピットまたはチームのトラックに用意されているというわけです」

木曜日、タマロさんは使用されたレザースーツを回収してチェックし、エアバッグを充電して、金曜日から始まる走行に向けてレザースーツを準備する。金曜日以降も同様に、レザースーツをケアする。

カネトが使用するグローブ。カネトは過去に大きなクラッシュをして、小指が完全に動かないため、特別な加工が施されている


「毎セッション後にレザースーツを回収する場合もあれば、1日の終わりにだけ回収することもあります。例えば、すごく暑くて湿度が高いときは、セッションごとにスーツを回収して乾かし、クリーニングする必要があります。路面が汚れている場合は、スーツの外側の汚れを落とす必要が出てきます。ときには、ひじのスライダーのような小さなパーツを交換することもあります。こうした作業もすべて、このサービス・トラックで対応するんですよ」

「それから、どんな場合でも、1日の終わりにはエアバッグの電子ユニットを充電し、エアバッグが完璧に作動するかをチェックして、プラクティス中に万が一大きなクラッシュがあったとしても、確実に作動する状態にします」

エアバッグが作動するよう、充電を行うことも重要な仕事の一つ

 

ゴンザレスがシーズン中にレザースーツを調整した理由

 Moto2ライダーが使用するのは、市販されているSPIDIのレザースーツと同じではなく、各ライダーに合わせてカスタムメイドされたものだ。

「市場で買えるモデルはMoto2ライダーのレザースーツととてもよく似ていますが、完全なカスタムメイドではありません。特に、サイズが各ライダーに合わせて作られているわけではない、という点が違います。Moto2ライダーは、エアロダイナミクスの面でも、着心地の面でも、自分に完璧に合ったスーツを求めているからです」

 例えば、ゴンザレスのレザースーツは、シーズン中に少しタイトになるよう調整が施された。これは、チームからのリクエストだったという。

シーズン中、ゴンザレスはよりタイトになるよう調整したという。その調整はとても小さなもので、見た目ではわからない


「シーズン序盤、ゴンザレスは『ストレートスピードがあまりよくない』という状況がありました。他のライダーのスピードと比較した結果、少しでも速度を伸ばすために、レザースーツの見直しも試してみよう、という判断になったんです」

 もちろん、レザースーツの調整に至る前に、バイクについても多くの変更が行われ、その上で、レザースーツの調整に着手した。昨今のMoto2クラスのタイム差は非常に僅差で、予選ではトップから18番手までのタイム差がたった1秒以内、という状況も珍しくない。今季、チャンピオン争いを展開したゴンザレスは、わずかでもトップスピードを稼ぐためにレザースーツをより体にフィットさせるよう調整した。それほど細かなところまで突き詰めて戦っていることを感じさせるエピソードだ。


サービス・トラック内で行われるレーシング・サービスの様子


 といっても、単にレザースーツをタイトにすればいい、というものでもない。
「通常、ライダーはできるだけ快適なスーツを好むんです。快適であるということは、レザースーツにある程度のゆとりがあるということでもあります。だから、通常、ライダーは“タイトすぎるレザースーツ”はあまり好みません」

「しかし、スピード面で最高のパフォーマンスを出すには、そのタイトさがどうしても必要になります。つまり、そこに適切なバランスが必要になるのです」

 変更によって生じる影響も加味しなければならない。

「レザースーツ(のフィット感)は、私の目から見ても“完璧に近い”状態になっていることが多いです。そこへさらに小さな変更を加える場合、前のスーツよりも性能が落ちることもあります。だからこそ、慎重に確認しなければなりません」

グローブの全パーツを分解して展示したタペストリー
グローブはレザースーツのように、ライダーに合わせて調整されている

 

MotoGPで開発されたSPIDIのエアバッグ・システム

 このような極限の世界で戦うライダーを、SPIDIのレザースーツは守っている。では、MotoGPの現場で培われた技術は、どのように市販製品へフィードバックされるのだろうか。

 タマロさんが強調したのは、エアバッグ・システムである。MotoGPというレースの現場は、エアバッグ・システムの開発に最適な環境だからだ。MotoGPでは、全クラスにおいて、2018年よりエアバッグの装着が義務付けられている。

サービス・トラック内にはSPIDIがサポートするライダーのレザースーツが並ぶ


 「レースでは、サーキットという“クローズドな環境”で、クラッシュの瞬間、倒れ方、エアバッグが作動したタイミングといったすべての状況を正確に記録することができます。公道ではどのように転倒したのか、いつ作動したのか、といった細部までは把握できません。こうした電子システム特有の細かい挙動を理解するために、MotoGPのレース環境は非常に重要なのです。レースという特別な“トラックコンディション”を利用して、私たちはデータを収集し、記録し、エアバッグユニット内部に搭載されたアルゴリズムをできるかぎり最良の形に進化させているのです」

「もちろん、MotoGPの現場ではレザースーツの形状の開発とテストも行われています。ただ、レースで使われるレザースーツは、1970~80年代からの長い歴史があり、私たちは膨大なデータを蓄積してきました。そのため、近年のスーツの変化は、過去に比べると非常に小さくなっています。例えば、10年前のスーツと今のスーツを比べても、劇的な違いはありません」

 レザースーツ自体の進化は、「すでに非常に高いレベルに到達している」と、タマロさんは言う。今、進化の余地が大きいのはエアバッグだ。

「近年における最大の進化は、なんと言ってもエアバッグ・システムなのです」

インタビュー中、何人も関係者がやってきてタマロさんから装具を受け取ったりしていた。週末はとても忙しい


 Moto2ライダーが使用する電子式エアバッグ・システムは、まだ市販されていない。しかし、まもなく発売される予定ということだ。

「市販モデルの発売は2026年4月を予定していて、電子ユニット自体はすでに販売できる段階に近づいています」

「現在は、量産向けの市販バージョンを製造しているところです。市販製品は基本的にレースで使用しているものと同じですが、素材や内部技術には、少しだけMoto2のものと違います。しかし、エアバッグ・システムの中核となる電子ユニットは、ここ数年レースで使ってきたものとまったく同じです」

「私たちは長年にわたり、クラッシュデータの収集、作動挙動の解析、システムがクラッシュをどう認識するか、といった点を継続的に評価してきました。その結果、市場に出す準備が整ったと自信を持って言える段階に来ています」

 SPIDIのエアバッグは、背中全体と肩を保護するものになっている。搭載されているガスジェネレーターは1本で、ガスジェネレーターは3回まで交換可能。合計4回まで作動が可能である。

 

XPDブーツのレーシング・サービス

 タマロさんはレザースーツのケア、エアバッグの対応のほか、XPDブーツのレーシング・サービスも行っている。ただ、「ブーツに関しては、それほど大きな作業はない」そうだ。

左が市販製品で、右がカネトが使用するブーツ。製品としては同じものだが、Moto2ライダーのブーツはデザインがライダー仕様になっており、スライダーが外されている


 タマロさんが主に行うのは、ソールの減ったブーツを回収し、新しいブーツをライダーに渡すことである。

「走行時に何度もブーツの底で路面を擦るため、ブーツは頻繁に交換が必要です。新しいブーツを渡し、使用されたブーツを返却してもらいます。返ってきたブーツは、ソールを交換します」

 これは、ライディングスタイルの変化による影響である。およそ15年以上前、バレンティーノ・ロッシがコーナー進入時に内側の足をステップから外す「足出し走法」を生み出した。ライダーにもよるが、それ以前に比べてコーナー進入時にブーツの底を擦る動作が増え、ソールが擦り減るのである。

「例えばカネトの場合、サーキットによっては右足のブーツを1度の週末で3〜4足も使うこともあります。左足はギアチェンジをしなければならないので、右足側の消耗が特に激しいんです。レース後にはイタリアへ送り、ソールを交換して、次のレースでまた使えるようにします」

ストックのほとんどは右足のブーツ。右足を擦る割合が多いからだ


 このため、SPIDIのサービス・トラックにはたくさんの「右足」のブーツのスペアが備えられている。

 こうした状況を踏まえ、ソールの素材が検討されたこともあった。しかし、それは採用されなかった。

「足出し走法」によって擦られるソールの素材が検討されたこともある

「ソール部分をもっと保護しようとして“より硬い素材”を試したこともありましたが、大きな改善にはつながりませんでした。それに、素材を硬くするとライダーがペダルを感じにくくなることがわかったんです」

「ブーツはライダーにとってバイクとの接点の一つなので、この部分が硬くなるとフィーリングが悪化してしまいます。柔らかいほうが、足裏の感覚を通してバイクの挙動をつかみやすいんですね」

 世界の舞台で戦うライダーと、それを支えるブーツの試行錯誤だ。

 Moto2ライダーが使用するのは、基本的に市販製品と同じである。一つだけ異なるのは、Moto2ライダーのブーツにはスライダーが付いていないことだ。

「これはエアロダイナミクスのためです」と、タマロさん。スライダーという小さなパーツまで、パフォーマンスのために考慮されている。

「風洞実験のデータを見ても、空力的な変化はごくわずかですが小さな違いがあることは確認できました」

「市販モデルの場合、一般のユーザーにはスライダーが付いていることでメリットがあります。たとえば、コーナリング中に誤って地面を擦ってしまった場合でも、ソールやブーツ本体を守ることができますからね」

2025年シーズン最終戦バレンシアGPでMoto2チャンピオンを獲得したモレイラのチャンピオン囲み取材。モレイラはブラジル人として史上初のチャンピオンに輝いた。2026年はホンダLCRからMotoGPクラスに参戦する

SPIDIが考える「安全性」

 SPIDIのレーシングギアは、MotoGPという世界最高峰の舞台で開発が続けられている。そんなSPIDIが考える「安全性」とは何だろうか。

「私たちが新しい製品を開発するとき、最初に考えるのは『可能な限り最高の安全性』です。次に来るのが 快適性。そしてそのあとに、デザインやグラフィックといった要素が続きます」

「見た目のデザインは、市販モデルにおいて非常に大切です。お店で製品を見るとき、人が最初に判断するのは“その製品がどう見えるか”ですからね。そのうえで、安全性や快適性に目が向けられていくわけです」

「ですから私たちは、安全性と快適性を確保したうえで、見た目のよさ、デザイン性についても慎重に考えているんですよ」

 小さなパーツ一つが影響する極限のレースの現場で、SPIDIは「安全性」を磨いている。SPIDIのレーシング・サービスは、MotoGPからすべてのバイク乗りのための技術のフィードバックを続けていく。


TEXT・PHOTO:伊藤英里